2007年は2006年に柱谷監督からバトンを受けた美濃部監督が指揮を執りました。
なかなか波に乗り切れませんでしたが、徐々に安定した試合ができるようになり、昇格が見える位置をずっと走り続けることができていました。
しかし、秋ごろに成績が低迷し、フロントから加藤Qさんが総監督という立場で現場に入り、10月のセレッソ戦前に美濃部監督を解任して正式に監督となることになりました。
最後の方の美濃部さんは天皇杯で明治大学に負ける(0-1)など、昇格に向けて前向きな絵を描ける状態ではなかったと思いますが、監督なのに自分より偉い総監督がいて、という状態はやりにくかっただろうなと思いますし、サポーターとしては最後まで走り切ってほしかったと思います。
※ちなみにこの時の明治大学の得点者は後にヴェルディなどで活躍する林陵平選手
しかし、この頃の京都はJ1昇格が必須条件だったということの裏返しでもあり、クラブとしての判断だったと思いますが、美濃部さんをコーチに降格してチームに残すなど、他の方法はなかったのかなと思います。
そんな昇格を目指すための人事が裏でありましたが、2007年の結果は最高のものとなりました。
まずは、11/26ベガルタ仙台戦@西京極
ラスト2試合で勝ち点:京都82、仙台80で迎え、まさに6ポイントマッチといえる試合でした。
Kyoto Sanga FC-Vegalta Sendai 1-0, Ishii's goal
石井選手ありがとう!
2007年守備を引き締めてくれた石井選手が古巣相手に劇的ロスタイム弾ですよ!
現地観戦していて、このシーンはまじで震えました!
この瞬間は西京極が揺れていましたね。
この結果により、ほぼ入れ替え戦への進出が決定しました。
相手のメンバーは当時の新旧の日本代表やユース代表がずらり。
列挙すると、槙野、森崎兄弟、駒野、青山敏、柏木、佐藤寿など
外国人も実績のあるウェズレイとそうそうたるメンバーでした。
Kyoto Sanga - Sanfrecce Hiroshima
Kyoto Sanga - Sanfrecce Hiroshima #2
第2戦の広島での試合を現地観戦しましたが、最後は祈るような時間でした。
最後の槙野のオーバーヘッドをGK平井さんが棒立ちで見届けたときは、
時間が止まったかのように時が進みました。
またこの昇格という感動が来ることを、心より祈ります。
いやしかし、よく勝ったな。素晴らしい!